都会で消耗する人もいれば田舎で消耗する人もいる
田舎は小さな世界の中で 常に見張られていて がんじがらめで息苦しくて溺れそう なんてひともいれば、
都会は人間関係が希薄で 人混みの中でさえ孤独を意識させられる乾いた砂漠のようだ、なんてひともいる。
しょせんは合う合わないの話だけど。
理屈で考えると、生命維持には、おそらくド田舎の方が有利。
小さな世界では立ち位置を主張しやすい。なんなら主張しなくても勝手に認識してくれてる。
真面目に生活している限り、自分の信用度がコミュニティ内に蓄積し続ける。
集落全体が親戚みたいな状態ですね。
そんな中では、生活に支障が発生しても コミュニティによって勝手に支援が始まる。
コミュニティに対しての実績(お金以外、精神的なものでもOK。あいつはちゃんとした奴だ、良い奴だって信用度)が大きければ大きいほど より多くの支援が受けられる。
”限界集落”などと言われつつも それらの集落が存続しているのは、そういうことでしょう。
但し「大きな夢や希望」は叶えられない。
メディアが発達する前、100年ほど前までは よその世界の出来事として無視も決め込めたが
現代ではもう無理。テレビもネットもあるしクルマや電車で出かけて 実際に触れられる。
「成功」するためには小さくて濃密なコミュニティの外に出る必要がある。
しかしながら、
コミュニティに所属しない、もしくは 大きくて希薄なコミュニティでは 生活に支障が出た際の支援も薄くなる。
最も一般的な"会社"というコミュニティは永続的とは限らない。
潰れたり辞めたりして抜けると、それまでに培ったコミュニティに対する実績はご破算になる。
結果、国家による支援、生活保護に頼ったり ひどければ孤独死・餓死まで行き着くこともある。
どちらを好むかは人それぞれだと思うけど、
田舎 → 都会 の移動は簡単だけど、
都会 → 田舎へのルートが狭い(整備されていない)のが 解決すべき問題なんじゃないかって思う。